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概要

語りびと

35 私たちは布団を縁側に敷き、いつでも逃げられる用意をして、小さい妹二人と弟を母と二人でくるむようにして夜を過ごした。 靴音がするたびに父だと思って飛び起きた。 翌朝夜の明けるのを待って、母とありったけのお米でにぎりめしを作り、弟や妹を近所の人に託して電車も通わない五里余りの道を歩いて広島についた。 広島の己斐の駅は人でごったがえしていた。 わが子、わが親を尋ねて歩く人たちばかりだ。 幟を立てた人もあった。 家並はまだくすぶっていた。 道路は電線などで足の踏み場もなくなっていたが、私たちは一生懸命だった。夏の日ざしも、くすぶり続ける煙の熱さも問題ではなかった。 父に逢う、ただそれだけで周囲のあわただしさも、変わりはてた広島の街も私にはまるで関係ないもののように恐ろしさも悲しみもどこかに置き忘れたように、母も黙って歩いたし私もただ歩いた。 敵機が度々低空飛行でやって来た。 私たちは、丸はだかになって焼けた死体の横に寝そべって死人のようになって通り過ぎるのを待った。 私は今それを思う時、戦争という現実の中では、恐ろしいという気持ちは失われるのだろうかと、人一倍おそろしがり屋の私はその当時のことが不思議に思えてならない。 総監府(現在の広大)の前のこわれた玄関先で父の友人にばったり出会った。 吉川さんは私たちを見るなり「おとうさんは」と言われた。 私