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概要

語りびと

37は今でも忘れることができない。 焼けあとには水もなく、最後の助けを求めたあの人に水さえあたえてあげられなかった。 父もあの人のように、か細いながら、息を続けているかも知れないと思うと私は、足を棒にしても歩き続けないではいられなかった。 収容所という収容所をまわったけれどいなかった。 県病院の前で、学徒動員に出ていたのであろう女学生がひとり死んでいた。 一メートル位の小さな木陰に身を寄せて息を引きとったのであろうか。 そこにちょうど両親が来合わせて、「おおかわいそうに。 かわいそうに。」をくり返しておられた。 あれだけ街をさまよい歩き、探す人でいっぱいだった広島の街で死体を探しあてた人を見たのはこの時だけだったことを今にして思えば、当時の悲惨さ、はげしさを思うことができる。 あれからの二十年、私は病弱の母を助け、幼い妹や弟を育てることで一生懸命だった。 姉妹が一丸となって、夜に昼に働いた。 そして妹たちを嫁がせ、弟を卒業させて、私は床についた。 その間の多くの出来事を書けばきりがない。 六年余の療養生活を送り、やっと退院した喜びもつかの間、母は二度目の入院である。 それでも私は、くじけたりはしない。 私たちの父は偉かったのだという誇りが、私たちを支えてくれているからかも知れない。この記録は、筆者がほぼ四十年以前の頃に執筆した原稿の再録である