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概要

語りびと

31として百名の中に選ばれ、二隻の上陸用舟艇で似島の検疫所へ向かう。 海上を見ると多くの船が慌しく宇品方面と似島の間を行き来していた。 桟橋へ上がり検疫所本部の前で所長が「よく来てくれた、今朝広島でアメリカの特殊爆弾でひどいことになった。 これまでに約三千人の負傷者を収容したがまだぞくぞくと送られてきている。大変だと思うが指示に従って頑張ってくれ」との挨拶。 原爆とはまだ解っていなかった。 早速つぎつぎと運ばれてくる負傷者収容作業に当たる。 老若男女を問わず殆どの人がひどい火傷で、シャツはぼろぼろ、顔が真っ黒に焼け唇は水ぶくれ、手の皮はだらーんと垂れ下がり、この世の人とは思えない悲惨な姿はまるでお化けのようだった。 それを背負ったり担架に載せたりして建物の中へと運ぶ。 日暮れ頃には数ある収容所は満員となった。 幸之浦から送られてくる夕食もそこそこに、次は負傷者の看護に当たる。 あちこちから、「兵隊さん、兵隊さん」と声がかかる。 背中が痛いので起こしてとか、寝かしてとか、喉が渇くのだろう、水を欲しがる人が一番多かった。 しかし火傷には水を与えてはいけないと命令されていたので我慢してもらうのがつらかった。 どうせ助かる見込みのない重傷者には、末期の水として飲ませてあげればよかったと、後になって思ったのは私だけではなかった。 そう多くもない油を火傷の皮膚に塗ったり、竹筒の食器に入れたお粥を配ったり夜遅くまで看護に駆け回ったが六日の晩だけで死者は六五〇人も出たと聞かされ唖然とした。 二日目からは死者を馬匹検疫所まで四人一組で担架を使って運ぶ作業に当たる。 安置された遺体がどんどん増え、最初は広場に大きな穴を掘り